2011年3月20日

東日本地震

3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大地震)により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。

ハワイの管理会社のHIROMIさんより、暖かい言葉と日々日本のニュースが流れ、心を痛めているとのメールも頂いております。
日本の復興に向けて、できることを日々していきたいと思っております。

3月11日当日は、藤沢市の辻堂駅近くの法務局にたまたま仕事で行っており、局の建物が強く揺れたので、局の人とともに建物の外に一時避難しました。
その後、藤沢市一帯に大津波警報が発令され、各自避難することになりました。

ところが、既に電車は一時運休となっており、近くにいた高校生が「バスは動いているから海から離れている藤沢の駅へ移動しよう!」と言っているのを聞き、余震が続く中とりあえずバスに乗り込みました。

バスは、余震の度に乗客を降ろし、また地震が止まると発車、ということを繰り返しながら時間をかけて藤沢駅に到着。しかしながら、藤沢駅の小田急やJRは安全点検のため、動いていませんでした。
携帯電話も全くつながらない状態で、見ると公衆電話の前には大行列。タクシーを待つ列が遠くまで続いており、駅は行き所を無くした人でごった返しています。

藤沢駅は、大津波警報のサイレンが鳴り続け、消防自動車や救急車が行き交っています。ホームや駅の構内は危険なので一時停まっている電車の中に避難するようにアナウンスがあり、ぞろぞろと電車の中へ。

携帯電話は通じなくても、携帯メールは通じていることがわかり、やっと携帯メールで家族に無事を連絡。

私はお腹がすいていたのでケンタッキーフライドチキンの中に入りました。食事をして一息ついた所、店も閉店するとのアナウンスが流れ、外へ出されてしまいました。
ビックカメラのテレビでは、東北の状況や津波のたいへんなニュースが流れています。

家に帰ることもできないので、飲み物とパンを買い、「帰宅難民」として藤沢駅近くの避難所に向かいました。

深夜1時。小田急が動いたとのアナウンスが館内に流れ。
人がいない真っ暗な町を駅へ向かいます。
低速で運行されていても深夜の臨時運行は本当にありがたかった。
朝4時に自宅に帰り、家族も自宅も全く無傷でホッとしました。

今でも小さな地震が続き、福島の原発も予断が許されない状態です。
計画停電が続き、流通も回復するのに時間がかかるでしょう。
しかし、時間がかかっても日本は必ず復興するでしょう。
一人一人の思いは大きな力に変わります。

海外からの支援には感謝しております。
ハワイにいる皆様、私は無事です。
がんばれ、日本。